メール
私はネットが嫌いだと親や友達に言っているが、まともに取り合ってもらってはいない。
親は、毎日ネットやってるのにと思っているだろうし、友達からは、じゃあネット使わないでよと言われた。
そんな風にできないのだと反論はする。
皆がネットを使っている時代に自分だけ使わないということをすれば、明らかに損してしまうから使わざるを得ない。
皆が使わないようになってほしい。
インターネットというものが消滅してくれて私は構わない、むしろその世界を望んでいるといういつも言っている。
望んだところでもはや拡がったネットワークとそこにつくられた「世界」は消えることはないだろう。
でも、ネットが始まったことで失った多くの感性や情緒、リアルな物や商品のことを考えると、どうして皆それで平気なんだろうと哀しくなってしまう。
とは言え私はインターネットのヘビーユーザーで、見かけ上そこらのネット利用者となんら変わりがない。
使い方も利用時間も平均かそれより少し上くらいのものだろう。
行きていくためには利用しなければならないし、やはり楽しいこともたくさんあるのがインターネットだ。
基本的にはインターネット否定派の姿勢を取っているものの、これはいいと思えるものがある。
メールだ。
ビジネスメールなど、慣れていないときは一通送るのに1時間もかかっていたことがあるくらい面倒なものである一方で、口では伝えられない想いを相手に届ける優れものだとも言える。
私は男だし、母親や父親とは必要以上に馴れ合うようなことをしない。
もちろん親は好きだが、面と向かってそうは言えないし、態度にも表さない。
でも、メールは別だ。
ありがとうやごめんなさいと素直に言えるし、多くのことをまとめて相手に伝えることができる。
元々手紙がその役割を担っていたのだが、一緒に暮らす家族には送れないし、家庭内メールが常識となった今、昔にはなかった新しい気持ちの伝え方が産まれたのだと思う。